チャリティー活動

2020年 チャリティー活動団体”Jackton charity”を設立

飲食店を含む施設にて募金箱を設置
設置のお願いから回収までジャクトン本人が自ら動き
募金額は全てその時1番必要だと思う場所、人への物資やサポート
世界中で必要とするべき場所へ直接体感し、応援するべく活動を開始

全国各地へ募金箱設置
施設訪問、擁護施設、福祉施設
子供の教育施設に訪問、イベント時にはプレゼント🎁を用意
エンターテイメント、夢を届ける活動
ジャクソン・ファミリー財団ジャパン

天まで届け!100人が踊り出すマイケル・ジャクソン追悼ダンス

2009年6月に急死した米人気歌手、マイケル・ジャクソンさんの没後10年を前に、ファンの皆さんが大阪・ミナミの道頓堀川沿いで追悼のダンスを披露し、オレンジリボン啓発の募金活動を行いました。

女性自身に取り上げられました

活動目的


生前、マイケル・ジャクソンがチャリティに寄付した金額は$5億ドル以上(約500億円以上)と言われており、マイケルジャクトンもマイケルジャクソンの意思を受け継いで、チャリティーに貢献したいと思い積極的に活動しています。
マイケルは「最も多くの慈善団体(39団体)をサポートしたポップスター」として2000年のギネスブックに載っています。
以下慈善活動の年代別の抜粋です。


◇1984年
ペプシのCM撮影中に頭部に大やけどを負い、皮膚移植手術を受けた。賠償金で100万 ドル(約1億円)がでて、これを全部“マイケルジャクソン火傷センター”の設立に つぎこんだ。


◇1984年
アフリカの飢餓と貧困層を解消する目的でキャンペーンソングWe Are The Worldを作 詞作曲(共作ライオネル・リッチー、プロデュースはクインシー・ジョーンズ)。
合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティとして寄付された。


◇1984年
飲酒運転防止キャンペーンに協力した功績を讃えられ、当時の大統領ロナルド・レー ガンより感謝状が贈呈された。


◇1992年
世界中の不幸な子ども達の為ヒール・ザ・ワールド基金設立。
ペプシがスポンサーになり、世界中でコンサートを行い、収益金はヒール・ザ・ワールド基金に寄付された。
おもちゃや文具が詰まったギフトボックス3万個がボスニアの子どもたちにクリスマスプレゼントとして届けられ、その他にも小児病院や子どもたちを支援する団体 にも総額11万ドルに及ぶ寄付を行っている。


◇1993年
薬物乱用から若者を救う運動に着手。自身も「手術後の鎮痛剤の中毒に苦しんだ時期 があったから」とのこと。
モスクワ、アルゼンチン、グルジアに医療物資として救急車やワクチンを供給するための活動を行っていた。


◇1998年
ノーベル平和賞にノミネート。1999年6月にはマイケルと有志の友人たちがチャリ ティコンサートを開き、収益金は赤十字、ユネスコ、ネルソン・マンデラ子供基金に 寄付されている。


◇2003年
2001年のアメリカ同時多発テロ事件に心を痛め、チャリティシングル「What More I Can Give?」を企画。
レコーディングは終わっていたのにもかかわらず残念なことにプロデューサーのスキャンダルがあり、CD発売は実現せず、2003年オンラインで2ド ルで販売する事を決定。
ダウンロードで集まった資金は子どもたちのための組織に寄贈された。


◇2003年
ノーベル平和賞に再びノミネート。
ほかにもローマ法王ヨハネ・パウロ2世など165名の名前があがった。


◇2005年
ハリケーン「カトリーナ」の被害救援のために歌From The Bottom Of My Heartをリリース。
すべての収益金はハリケーン「カトリーナ」の犠牲者に寄付される。

引用元: ジャクソン・ファミリー財団ジャパン

チャリティー活動SNS



協力店舗紹介

マイケルジャクトンの協力店舗画像
—————関西エリア—————–
【大阪】
● ハラミノカミサマ(難波千日前)肉バル
● オコメノカミサマ(都島区)ラーメン
● 中華ダイニングザイロン(北新地)中華
● W Station(中央区島之内)英会話・ホステル

【東京】
● Soupmen(板橋区)ラーメン

【沖縄】

【北海道】